沖島

更新日:2020年01月31日

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沖島を上空から写した写真

 近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5キロメートルに浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8キロメートル、面積約1.52平方キロメートルで琵琶湖最大の島です。約300人の人が住んでいます。湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています。
 市内への交通手段はもちろん船。通学、通勤用に定期便も運行されています。
 長命寺山や鈴鹿山系、比良山系の美しい眺望は、琵琶湖に浮かぶ島ならではのもの。ここでは、昔ながらの生活の知恵や豊かな自然が今も生きています。

湖に浮かぶ島の暮らしは琵琶湖とともにあります。

晴れ渡る漁港にずらりと係留されている漁船の写真

 沖島に暮らすほとんどの人が漁業を営み、その暮らしは琵琶湖と強く結び付いています。古くから琵琶湖の恩恵を受けてきたこの島には、かつて織田信長に専用漁場を特権的に認めらた歴史があります。
 島内には浄土真宗中興の祖・蓮如上人が訪れたという縁である寺院があり、島の人々の暮らしを見守っています。湖越しに長命寺山、そして鈴鹿山系を眺め、西方に比良山系を見渡す美しい眺望もこの島の財産といえるでしょう。

神と歴史、そして伝説が人々と交わる島。

手前にヨットが浮かぶ、晴天の沖島の全景写真

 沖島の歴史は古く、延喜式内社として記されている奥津島神社の建立当時は、琵琶湖の航行の安全を守る神の島として崇拝される無人島だったといいます。伝承によれば、保元・平治の乱に敗れた清和源氏の流れを汲む武者が島を開拓し、定住したのが島の始まりと伝えられています。
 室町時代になると、足利義政により湖上の要衝として船舶の監視が沖島住民に命じられました。この足利義政は愛妾・今参の局を沖島に流罪とし、数日後、刺客を差し向けられた局は非業の死を遂げました。この出来事は、大佛次郎の小説「櫻子」でも知られています。
 文明年間には、琵琶湖の嵐を逃れた蓮如上人が沖島にたどり着きました。このときに遺された真筆「虎斑の名号」と「正信偈」は、島内の西福寺の寺宝として公開されています。

伝統の漁法と湖国に伝わる味を堪能する。

長皿に盛り付けられた鮒寿しと、黒い角皿に盛り付けられたモロコの写真

 湖国を代表する珍味として有名なふなずしは、春先に獲れるニゴロブナを材料に漬けられます。内蔵を取り除き、一ヶ月の塩漬け後、水洗いします。水をよくきった後、飯漬けして4ヶ月ほどから食べることができます。チーズに似た芳醇な薫りと酸味が特徴で、日本三大珍味の一つと言われています。
 湖国の特産であるモロコは、冬が旬。腹に子を持ち、身が引き締まって骨も柔らかくなります。正月料理には欠かせない存在でしたが、今では高級品になってしまいました。炭火で焼いて酢味噌や酢醤油で食べる風味は格別です。
 うなぎや鯉などを使った湖魚のすき焼きも湖国の味。肉のすき焼きに比べてさっぱりと淡泊な味わいが特徴です。

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