左義長まつり

更新日:2022年03月28日

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国選択無形民俗文化財「近江八幡の火まつり」とは、「左義長まつり」、「八幡まつり」、「篠田の花火」をはじめとする、毎年決まった時期に、近江八幡市内の村や郷、町内など特定の地域集団で行う火を用いる行事を総称するものです。

境内で一斉奉火される2基の左義長とそれを見守るたくさんの人たちの写真

近江八幡の左義長まつりは、織田信長が安土城下で毎年正月に盛大に繰り広げ、自ら異粧華美な姿で躍り出たと「信長公記」にも記されている天下の奇祭です。信長亡きあと豊臣秀次が八幡山城を築き、それにつれて安土から移住した人々を中心に八幡町が開町されました。日牟礼八幡宮例祭「八幡まつり」の荘厳さに驚いた町民は、開町による新進気鋭の喜びを込め厄除け、防火の由緒ある御神徳を仰ぎ、左義長を八幡宮に奉納したと伝えられています。しかし、現在の左義長まつりは、近江商人の隆盛によって、商売繁盛を祈願するまつりとしての意味合いの方が強いようです。左義長は、新藁で美しく編んだ約3メートルの三角錐の松明の上に数メートルの青竹を立て、細長い赤紙や薬玉、巾着、扇などで飾られます。左義長の中心には意匠をこらした「だし」が据え付けられます。「だし」はその年の干支にちなんだものを海産物や穀物等の食物で作り上げられます。1月中旬頃から始まる左義長づくりは、毎晩各町内で手間や経費を惜しまず行われます。3月中旬の土曜日、昼ごろから日牟礼八幡宮に参集した十数基の左義長は、14時、踊り子と呼ばれる女装した若衆たちの「チョウヤレ、マッセマッセ」のかけ声も勇ましく渡御(巡行)に出発します。渡御を終えた左義長は再び日牟礼八幡宮に戻り、ここで左義長だしコンクールの結果が発表されます。
翌日曜日、各町の左義長は、再び「自由げい歩」で旧市街地を練り歩き、「けんか」と呼ばれる左義長同士の「組み合わせ」があちこちで繰り広げられます。全員が力を振り絞って相手の左義長を倒そうと懸命になり、若衆のかけ声と観衆の声援でまつりは一気に盛り上がります。
そして、まつりのクライマックスは何といっても夜の火祭り。午後8時、同宮境内で5基の左義長にまず一斉奉火され、以降20分毎に順次奉火されていきます。燃え盛る左義長が夜空を焦がし、その周囲を火の粉を浴びて若衆が乱乱舞する様は、まさに湖国に春を告げる風物詩です。

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