近江八幡人物伝

更新日:2020年01月31日

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未開の地に販路を築き海外にまで進出した八幡商人たち。その才能は商売だけにとどまらず、さまざまな分野でも発揮されました。 

吉士 長丹(白雉元年頃)

赤い衣を着て立つ吉士長丹の絵

白鳳時代に白雉4(653)年に遣唐使に任命された彼は、はるか唐の大陸に渡り、翌年無事に重責を果たして帰国。当時の先進国である唐の学問や制度を学習輸入するため、再び故国の土を踏めぬかもしれない不安のつきまとう中、身を挺して大任を果たした彼は、その功績により宇津呂荘(現在の宇津呂町あたり)に封戸200戸と呉氏の姓を与えられたことが日本書記に記され近江八幡市の歴史上の人物では最も古い存在です。

伴 蒿蹊(享保17年-文化2年)

胸元で手を組んで座る伴蒿蹊の絵

本名は庄右衛門。伴荘右衛門家の5代当主。近江屋の屋号で代々新町3丁目の家業に従事し、江戸、大坂に店舗をもつ八幡商人のひとり。家業を後継者に譲り渡してからは京都に隠棲し、国学者として活躍しました。平安歌人の四天王と称されるほど名声は高く、「近世畸人伝」、「閑田耕筆」など、著書も多く残しました。

伊庭 貞剛(弘化3年-大正15年)

伊庭貞剛の胸から上の写真

近江国西宿村(現西宿町)に生まれる。勤皇の志士、西川吉輔に入門。明治12年、裁判官から住友本店に入社。後に2代目総理事として住友系企業の基礎を築きました。また、煙害で荒廃した四国別子銅山への植林や製錬所の四阪島への移転など、環境問題の先駆者としても知られています。「事業の進捗発展に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である」と、トップ就任わずか4年で引退しました。

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